今日は、雲黒斉さんの過去ログをご紹介しようと思います。
「新しい生命が誕生する」という言い方があるけれど、私も黒斉さんと同じで、生命は誕生するものだと思っていたし、誕生したものは死を迎えると思っていました。
そして、一人ひとりの肉体に命が宿り、その命が失われたとき「死ぬ」のだと思っていたのです。
これを読んで、目から鱗でした。
どこからが命なんだろう、なんて考えたこともなかった・・・。
「生命」だけでなく、「それはこういうものだろう」と漠然とイメージしていて、よくよく考えるとあれあれ??おかしいぞ、ということが最近多いです。現実とか、時間、人の心など、上手に自分を制限の世界に閉じ込めていたなあと感心してしまいます。
最近、トークライブでよくお話していることがあります。
それは、僕たち(の命)が「実は生まれてなどいない」ということについて。
精神世界や宗教のお話で「本当は死なない」ということを耳にすることはあっても、「生まれていない」ということは、あまり聞いた事がありませんでした。
でも、生と死が対局にあるように語られるのであればなおのこと、「死なないのなら当然生まれもしない」ということになります。
僕が、ライブ会場で「僕もアナタも、実は生まれていないのです」なんて言うと、皆さんから「この人大丈夫だろか?」と懐疑的な視線を向けられるか、ギョッと目を丸くされるか、といった感じなのですが、気づいてしまうとホントに「あれ?あれれれ?」となる不思議。
以前から何度も書いたことのあるテーマですが、大事なことなので再度書いてみたいと思います。
僕はその気づきを得る以前は、「命」とは、誰もが一つずつ持っている何かだと、漠然と思っていました。
僕には僕の命があり、母には母の命があり、妻には妻の、同僚には同僚の命が、その肉体に宿っているものだと思っていました。
また、それは人間だけではなく、動物には動物の命が、虫には虫の命が、植物には植物の命が、それぞれに宿っていると。
そして、自分の肉体からその命が失われることを「死」だと思っていました。
しかし、よくよく考えてみると、その考え方だと「どうしてもおかしい」ということに気づいてしまうんです。
普通「アナタはいつ生まれましたか?」と聞かれた時に、「いえ、私は生まれていません」なんて答える人はいません。
大抵は生年月日を答えます。「昭和(平成)○年の○月○日です」って感じで。
でも、誕生日であるその日に、僕たちに「新しい命が宿った」とは言えそうもありません。
僕もさすがに「出生時の記憶がある」とは言えませんが、いま、妻のお腹を見れば一目瞭然です。
妻のお腹は日に日に大きくなり、胎児の成長の様子が見て取れます。
産婦人科に行けば、エコー写真などで、その成長の様子をさらに具体的に観察することができて、先生から「お子さん、順調に育ってますよ~。あ、やっぱり“たまたま”がついてますね。男の子だ」なんてことを言われたりしています。
先生に“おきゃん玉”を覗き見された我が子は、当然のことながら、まだ誕生日を迎えていません。
誕生日は迎えていませんが、猛スピードで細胞分裂を繰り返して成長を続け、毎日の様に妻のお腹を内側から蹴っています。
つまり誕生日を迎える前から、すでに「命がある」ということです。
出産の前から命はある。
では、もし命が、どこかの時点で宿ったり失われたりするようなものなのだとしたら、その命は、いつ宿ったと言えるのでしょうか。
何かに命が宿ることがあるとするならば、まず先に、命が宿っていない何かが必要になります。
僕たちが「命が宿っていない何か」「生きていない何か」だったことはあるでしょうか。
それは、まだ肉体が形成される前の「受精卵(胚)」でしょうか?
いや、確かに形としてはまだ人型になっているわけではありませんが、受精卵だって休むことなく細胞分裂を繰り返しているのですから、すでに「生きて」います。
ではそれ以前。
精子や卵子だった時はどうでしょうか。
それは、「生きていない何か」だったでしょうか。
そんなはずはありませんね。精子も卵子も生きていたからこそ、それが結びついて受精卵になれたわけです。
と、いうことは……。あれ?
僕たちが何となく漠然と持っていた「一人に対して一つの命」というその考えをそのまま活用するとおかしなことになってしまいます。
「精子には精子の命」、そして「卵子には卵子の命」が必要なはずです。
だとしたら、その二つが結びついた胎児には、精子分の命と卵子分の命、つまり、二つの命が宿っているという話になってしまいます。
本当にそうであるなら、僕たちは「二度死ねる」ということになってしまいますが、そんな人には出会ったことがありません。
つまり、僕がかつて抱いていた、「僕の身体に僕の命が宿っている(一人に対して一つの命がある)」という考え自体が大間違いだったということです。
僕だけの話ではありません。
単独として人の身体に宿る命など、誕生したことはありません。
最初からないのだから、失う事もできません。
だから、とても不思議なのですが……僕たちは死ねないのです。
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