これって、日本人の集合意識なんでしょうか?
昔に比べるとかなりかなりなくなってきたのですが、まだ私の中にも根強くあるような気がします。
休んだり、ゆっくりしたりするのが損なような、悪いことのような気がしてしまう時があるんです。
他人のためになる活動をやっている時だけが、クリエイティブで生産的な時間。
そんな時間を過ごせていない自分には価値がない。。。
だから、テレビを観るときも、
「さっきいっぱい働いたから、たまにはいいことにしよう。何か仕事に役に立つ情報を得られるかもしれないし」って思ったり、
ネットサーフィンや本を読んでいるときも、
「私は暇つぶしをしているのではない、学んでいるのだ」って思ったり、
カフェで一人でお茶飲んでいるときも、
「この時間に次のブログの内容を考えよう」って思ったり、
要は自分は無駄な時間を過ごしているのではない、といいわけを考えようとしてしまうのです。
仕事のなかった日に、9時5時のお勤めしている友人に「今日は何してたの?」って聞かれて、
「特に何もしてない」って答えにくかったり、
体調が悪くて横になるだけで、ものすごく罪悪感を感じたり・・・。
こうやって、時間の使い方に無意識にランクを付けているようなところってありませんか?
いわゆるお金儲けにつながる、クリエイティブで生産的な時間が一番、その次に他人のために活動する時間、次に学びや読書の時間、その次に人づきあい、その次に趣味とか体を動かすとかエネルギッシュな時間、その次に掃除をしたり家事をしたりする時間、その次にお風呂に入るとか日常的な生活習慣の時間、その次に遊びやレジャーの時間、その次に休息とリラックスの時間、その次に・・・という感じで。
でも、本当はすべての時間が同じ価値。
どこかの国の首脳と会談している人の時間は、家で家族のためにご飯作っている人の時間より価値がある、なんてことありえませんから。
ただ呼吸だけしているのだって、立派な時間の過ごし方です。
その間にも新しい細胞は生まれ、育まれていってます。
昨日の話しからいうと、宇宙の全体システムの中で、ただ存在しているだけで私たちには価値があるのです。
この地球上では、陰と陽がバランスをとっているわけですから、みんながみんな陽(アクティブでエネルギッシュ)でいることはありえない。
私たちはただ、バランスをとりあっているだけ。全体で1個なのです。
自分の中でいろんな時間の過ごし方を大切にできるようになると、人の時間の過ごし方についても干渉しなくなりますね。
「ただ呼吸しているだけの時間を祝福する」
これが今の私の課題です!
- 関連記事
-
- コミットすることの大切さ (2012/01/29)
- ただ呼吸しているだけでOK! (2012/01/26)
- 私たちは何も知らない (2012/01/24)
今日の記事、まさに今の私だと思って読んだよ。
なんかここのところストレスかなんだかでめまいがひどいことがあって
自律神経失調症気味かなー?て思っていろいろ調べてたら
自分では楽しんでやってるつもりのことでも、やっぱりどんな時でも
何かしてないとならないという気持ちはいつもあるから、
そんな自分の気持ちに自分で収集つかなくなってたな~って
思ってちょうど反省してたところ。
あ、でも、ここで反省しなくてもいいのかもね(笑)?
それくらいあって当然って思ってていいのかも。
もうちょいぽけぽけ過ごす時間を作ろうと思うよー!