大学卒業直後にはまっていたのが、「世界経済を支配する影の権力者たちの実態を暴く」陰謀論。
バイトで週末にブライダルの聖歌隊をしていたのですが、その仕事で知り合ったデーヴィッドというアメリカ人宣教師(いわゆる主流のプロテスタント・クリスチャンではなかったと思いますが)と仲良くなって、彼から「イルミナティ」とか、「フリーメーソン」とか、「ワンワールド(新世界秩序)」とかいったことを教えてもらいました。
この頃に学んだのは、マスコミや社会常識、教育、政治というものの発信している情報を鵜呑みにせず、自分の目で真実を見ようとする力を養うことでした。
今は善悪二元論を超え、「私たちが住む物理的世界は、エゴが見ている幻想である」という『非・二元論的な世界観』を学んでいるので、もう「陰謀論」への熱も冷めちゃいましたけど、物事をありのままに見られるようになるための必要なプロセスだったのかなと思います。
さて、陰謀論の情報を漁っていたその頃ですが、人並みに(それ以上?)、世の中に認められたい欲、社会的に優れた人材になりたいという超3次元的な欲はありました。
大学を出てしばらくして、再び声楽を勉強しようと大学院に戻ったのも、修士課程を出てから博士課程などに進学しちゃったのも、「歌がなければ私の人生なんてないも同然だわ!」といった情熱よりは、「上手だと褒められることもあるし、これならちょこっと世間に認められる人になれるのではないか」といった世俗的野心の方が強かったのは否めません。。。
博士課程で論文を書くのも、そのテーマを研究したくてしたくてしかたがなかったのかといえば、ごめんなさい・・・それはほとんどなかったですね。(今の真理への探究心ぐらいあったら、いい論文が書けていたかも!)
「とにかくなんか書いて博士号をもらう。そうしたら人生にプラスの展開があるのではなかろうか。大学の先生にでもなれたら人生安泰やなあ。」そんな邪心をモチベーションにして、学生ローンを借りて海を渡りイギリスまで2度も論文の資料集めなどしに行っていたのですから、自我の行動力ってすごいです。
そんな労力を使ってまで手に入れようとしていたあれこれ(名誉、地位、学歴など)をさっぱり手放したのが、一つの大きな目覚めの転機だったのかもしれません。
5年も在籍してそれなりに本気で取り組んでいた大学院博士課程の退学への踏ん切りは容易にはつかなかったです。
野心家のわたしのエゴは、やめたくはありませんでした。
両親や友達も応援してくれていましたし、大学の先生方からの期待もありました(と、勝手に私が思っていただけですが)。
どこかに所属している、というのは、人はとにかく安心するのです。
居場所を失ってしまう不安、将来への不安、積み重ねてきた努力などすべてを捨てる怖さ、、、ありました。
でも、それ以上に何か抵抗できない力に押されるように大学院を退学し、30代半ばにしてカウンセリングやセラピーといったまったく新しい世界へと足を踏み入れました。
今でも、カウンセリング業と並行して歌や音楽を教える仕事は続けています。
しかし、あれから大きく変わったことは、世俗的野心というものからどんどん遠ざかっていったこと。
以前は仕事を受けるとき、「それは将来につながるか。得するか」ということが最も重要なポイントでしたが、
今は「やりたいかやりたくないか」、これに尽きます。
おかげで本当にストレスが減ったし、歌うのも教えるのも以前よりもっともっと楽しくなりました。
ごくごく最近はまた新しいパターンがはじまって、声楽家だとか、教師だとか、セラピストだとか、そういう職業的カテゴリーさえだんだんどうでもよくなってきて、「やりたいかやりたくないか」といった個人的な趣向さえもどうでもよくなってきて、なんだかよくわからないけどこういう仕事が目の前に来た、今はそれをやれってことのようだからとにかく全力でやってみよう、という完全な宇宙お任せモードになってきています。
それで実際にやってみると、自分の不要な価値判断に気づいたり、今までに体験したことのないことを体験できたり、必ず必要な学びがあるんですね。
「私は○○だ」という職業的なアイデンティティに私たちはこだわりを持ちますが、それはすべて自分を制限し、縛り、束縛するものです。
仕事=自分の役割となって、役割と自分を同一化してしまうと、それを超えた存在のキャパシティーを経験することができなくなってしまいます。無意識に自分で自分に限界をもうけることと同じなのです。
そのカテゴリーから解放されたときの解放感、自由さといったら!!!
「私は何者でもない」
もう、これは、抜け出してみないことには味わえない解放感です。
つづく