○雑誌の占星術のページをとりあえずチェックする
○神社や教会に行くとなんとなく神聖な気持ちになる
○神さまはいるんじゃないかなーと漠然と思う
○『オーラの泉』を時々観ては共感していた
というものから、
○パワーストーンなどラッキーアイテムを持っている
○風水を実践している
○お金を出して占いやリーディングをしてもらったことがある
○いわゆるパワースポットに出かけたことがある。
○アロマセラピー、アーユルヴェーダ、ホメオパシー、気功、レイキなど代替治療の効果を信じる
○守護霊とか天使とか呼ばれる存在がいるんじゃないかなと思う。
というもの、さらに、
○知り合いがチャネラー
○シンクロニシティー・すべては必然・輪廻転生・普段思っていること話すことが実現化する、などは当たり前。
○インナーアース、パラレルワールド、バシャール、エーテル体、アクエリアス時代について語れる。
はたまた
○「私はシリウス星から転生してきたライトワーカーであり、この地球という惑星とそこに住む人々が光の次元へアセンションするのを手助けするのが私の使命です。」
などに至るまで、全部ひっくるめてスピリチュアル。
最後の文は、わかんない人には訳わっかんないですよね(笑)。
では、そもそもスピリチュアルな生き方ってなんなのでしょうか。
簡単にいうと、「本当の自分に従って生きること」じゃないかなって思っています。
まず、宗教とスピリチュアルの共通の部分は、「人間は魂を所有しているのではなく魂そのものである。人間が所有するのは肉体である。(C.S.ルイス イギリスの学者・『ナルニア国物語の著者』)」というところ。
では、宗教とスピリチュアルの違いはというと、宗教では指導者や教義に従って生きるのに対し、スピリチュアルはあくまでも自分(の心、意思)が主人。
では、自分って一体何?自分のどこに従えばいいわけ?となると、これが意外と難しい。
自分の心や意思というのはとても不安定で、昨日と今日ではまったく違うことがある。親や学校、友達、会社、地域、本、ニュース、風潮などありとあらゆる影響を受けていて、自分以外の人の意思や価値観に支配されていたり、財産、名誉、権力といった条件に従っていたりと、自分の心の中に偽マスターはいくらでも住んでいて、オレ様に従えーって叫んでます。それで、そういう偽マスターたちを排除して、本当の自分の意思や心を探っていくと、突き当たるのは、自分の神聖性なんです。つまり宇宙、愛、神が心の内の内であることに行き着きます。
Wikipediaによると、スピリチュアリティとは、「霊魂や神はいると思うけど宗教団体に所属して信仰を持つつもりは無い」というような人々の心的態度や実践である。または、「教祖や先生に指導されるのではなく、自分自身が神や自然に繋がっていくことを回復していく流れである」。
とてもシンプルにまとまっていてわかりやすいですね。
「自分自身」と「神」の間には、なーんにも介入ない。他人も団体も。
何にも依存しない。
だから、占いでこう言われたから、とか霊視してもらってこう言われたから、とかいってそれに従って生きる、というのは本当のスピリチュアルな生き方とはいえない。
「スピリチュアリティの目指すものは個々人の自立」である、つまり、スピリチュアルな生き方とは、究極の自立した生き方なのです。
どんなにパワフルなラッキーアイテムを持っていても、風水を完璧に実践しても、そこに依存している限りは真のスピリチュアルな生き方とはいえません。
また、思想家のエハン・デラヴィさんはスピリチュアルについてこう言ってます。
スピリチュアルな人とは、ほぼまちがいなく「謙虚さを持つ人」です。
スピリチュアル性の高さは、その人がどれだけ謙虚な人であるかをスキャニングすればわかるのです。宗教やスピリチュアリティーに関する知識の有無は関係ありません。
謙虚であるということは、自分の理解力に限界があることを自覚することでもあります。
この世のすべては完全なる神秘であることがわかっている人です。
つまり、「それは科学的でない」とか「根拠がない」とか言うのは、人間が宇宙の神秘をすべて解明できるんだという傲慢さである、ということですね。
デラヴィ氏による「スピリチュアルでない人」とは、簡単な捉え方をすれば、その人の価値観の中心軸が心ではなく、頭にある、ということが一つのバロメーター、とのことです。
やはり、スピリチュアルに生きることは、頭で考えて行動するのではなく、ハートに従って生きるということなんですね。