キターーーーー!!いいねえ、この10歳くん。
自分自身で学校で学ぶのはもうやめ!って決めて、自宅学習を選んだという中島芭旺(ばお)くん。
「僕は去年の9月から小学校へは通学せず、
『自宅学習』という方法で生活しています。日本ではまだ認知度の低いやり方で、
日本ではその多くが『不登校』とひとくくりにされています。ないのなら創るだけ
創造性を生かせる教育システムを創りたい。
キーワードは
『オープンエンド』
『通信教育』
『好きな人から学ぶ』
鎖につながれない小象さん。
肉体年齢10歳だけれど、意識年齢はもう高齢ですわ。
テレビにも出演しています!
そしてこのお母さんは、真実を見る目をもっていらっしゃるのですね。
暖かく彼の活動を見守っていらっしゃいます。
お母さんのインタビュー記事は
こちらfacebookのこちらの投稿もお読みください。
BAOくんがもっともっと有名になって、彼に触発されて、
ほかの多くの子どもたちも自分で何かを考え感じて、
「自分も学校行くのやめた!」ってボイコットしたら、
今の教育システムはめでたく崩壊するでしょう。
そうしたら、やっと大人たちも本気で、子どもたちの未来のために、本当の教育について考えて、
新しい教育システムを構築しようとするでしょう。
子どもの不登校で悩む多くのお母さんたちも、楽になりますね。
学校の現場の先生たちも、無意味なストレスから解放されるし、
なんせ、地球のため社会のためにはそのほうがいい、と私は思います。
「どうなりたいかという質問に僕は『僕は僕でありたい』と答えている。世界中みんなが自分であるということは正解がないということ。正解のない世界で生きていく僕達は好きなことをやる勇気が必要だ。
自分の勘を大切に、自分に正直に、自分が好きなことをやる勇気」
ああ、、、私が40年近くかかってたどり着いた域をとうに超えている!!
そんなBAOくんと、前にも紹介したホームレスのカリスマ!
いばや通信の坂爪圭吾さんの
対談ライブが、来月都内であるらしいです。
これ、行きたい!!
【お知らせ】只今クオレヴォーチェホームページリニューアルの準備中のため、スケジュール等の更新が滞っております。最新のスケジュールは直接お問い合わせいただければと思います。ご迷惑をおかけして申し訳ありません。
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「子どもがなぜこういう行動をするのか、理解できない。
感性が違いすぎてどう育てていいかわからない。」
…って、先日会った20年来の付き合いのお友だちが悩んでいました。
私の古くからの友だちは、なぜかそういう悩みを持つ人がとっても多いのです。
よそ様に迷惑かけないようにときちんと躾けられていて、優等生気質で、真面目で、常識的に見られるタイプの人が多いのです。
そこになぜか、そろいもそろって自由で型破りで、他人からどう映るかよりも、今、目の前にあることの方が大事、
というタイプの子どもたちが生まれてきます。
彼らを、自分が躾けられたように育てようと思っても、全くうまくいかないのです。
して欲しくない事をたくさんしてくれます。
怒っても諭しても、言うことを聞いてくれません。
そして・・・だんだん自分も子どもの方もストレスが溜まっていきます。
そんなこんなで子育てがうまくいかず苦しいのですが、優等生気質ゆえに自分が誰かに弱音を吐くこと、
弱みを見せることに何よりも抵抗があります。
私は彼女たちの話を聞いていて、
まさにその子どもたちがお母さんを幸せにするために助けにきてくれているなーと思っています。
渦中にいるお母さんたちは、子どもが自分を苦しめてるために生まれてきたとしか思えないみたいですが。
私を含め現代の大多数の大人たちは、幼い頃から小さな木片の杭に繋がれて飼い慣らされて、
大人になっても、それが簡単に抜けて自由にどこへも行けることに気づかないサーカスの象さんと同じなのです。
※「
鎖につながれた象」の寓話より
そして、上記のような子どもたちは、生まれた時からすでに感性が鋭く、
直感的にこの木片の杭に繋がれたらダメだとわかっています。
大人は、繋がれて飼い慣らされて育ってきたので、それ以外の世界を知りません。
ここは安全だし安心だと信じていて、子どもも同じようになった方がいいに決まってる、って思います。
一方子どもの方は、繋がれていなくても大丈夫だし、その先に広がっている自由で大きくて、のびのびと広がっている世界があり、
自分がどこに向かっていけばいいか本能的にわかっているので、なんであなたたちみたいに繋がれなきゃいけないの!?って思っています。
「そんな、生まれて年数も間もない子どもに世の中のことなんかわかるわけがない」って大人は思います。
しかし、
本当にわかっていないのは大人たちなんです!教育やマスコミ、政治により情報が巧みに操作された世の中で、自分たちは無力なのだと、本気で信じこまされています。
そして、内なる直感や本能といったものを全く信用しないで、操作された情報や常識に翻弄されて生きています。
上記のような子どもたちの使命は、
そんな鎖につながれた親を目覚めさせることです。
自分が小さな木片の杭に繋がれて飼い慣らされている状態にあること、
本当はここから自由になって、どこへも好きなところにいって好きなように自分軸で生きられるということ、
その力が自分にはある、と思い出すこと、
直感や本能を信じてもいいということ、
それに気づくように、子どもたちは身体をはって教えようとしてくれています。
私も今でこそ、杭から自由になって客観的にいろいろ見えてきたこともありますが、
何も知らずに彼女たちのようにお母さんになっていたら、同じような経験で間違いなく苦しんでいたなって思います。
彼女たちの悩みのタネである子どもたちに会っていつも思うのは、
この子たちはまーったくなんの問題も心配もなし!!!どうぞどうぞそのまま自分のやりたいことをやって大きくなってね!
ということだけです。
ケアが必要なのは、やっぱり親である彼女たちの方なのです。
ついちょっと前までは、私もまだ鎖につながれていた感覚が抜けず、はっきりとそういうことを伝えることを恐れていました。
でも、今なら自信を持って伝えられます。
大人たちよ、どうか真実に目覚めてください!
子どもたちを無条件に信頼してみてください!
そして、自分の本来の力を取り戻してください!みんなが本来の力を取り戻せば、世の中なんてあっという間に変化します。
私の友だちたちは、
みんなとっても素直に私の話に耳を傾け、アドバイスにも従ってくれます。
それは、「本当のこと」をどこかでちゃんとわかっているからなのです。
今日のようなテーマで悩む人たちに、私はたまにこんな提案をします。
「〇〇ちゃん(子ども)の中にある、受け入れらない性質・要素を、ほんの少しずつでいいから真似していってみて」って。
たとえば、「だらしがない」のが受け入れられなかったら、自分も少しだけだらしないことに挑戦してみる。
「やることが雑」なのが許せないのなら、いつもより少しだけやることを雑にしてみる。
「すぐキレる」のが嫌なら、自分も真似してキレてみる。
「他人のことより自分のこと。ゴーイングマイウェイ」が嫌だったら、自分もちょっとずつそんなところを増やしていく。
「下品」と思ったら、上品な自分を少しやめてみる。
最初はすごーく抵抗があると思うけれど、
それを少しずつ続けていくうちに、絶対に子どもは変わるし、自分も変わるし、状況がよくなるからって。
昔こういう話をしたある友だちに久々に会ったとき、
彼女がすごく変わっててびっくりしたことがあります。
その当時、まさに子育てがうまくいかない、と悩んでいたのですが、
彼女がその悩みの種の子どもちゃんといい意味でそっくりになっていたのです(親が子どもに似るって変な話ですが笑)!
それによって今まで以上に、彼女がキラキラと輝いて、表情が明るく生き生きした様子に見えました。
実はこれが彼女の本質だったんだなー。
子どもさんとの関係もずいぶんと良好な様子でした。
それを見てて、やっぱりそうか!ってこちらも確信を強めたものです。
もし、子育てで同じようなことで悩んでいる方がいらっしゃったら、
ぜひ安心して、その子どもさんの持つエネルギー(自分にはないと思っている部分)を、自分の中に統合していってみてください。
真の子育てで学ぶことは、ずーっと長年自分を縛り付けていた「~べき」の杭から自分を解き放つことです。
「自分は子育てでは苦労はしていない」という人は、
それ以外の分野(パートナーシップ、経済、健康、仕事、人間関係・・)などでそれを学ぶことになると思います。
あとはやはり、失われた力を取り戻すこと、
杭から自由になっても、ちゃんと安心して生きていけるための本能・直感力を取り戻すことがなによりも大切と思っています。
そのためにも、私は
脳幹の機能を本来の状態に戻していくことをお勧めしています。そこでご案内なのですが、
久々に脳幹セラピー体験会が東京で開催されますよ!
なんと一年ぶりです!
10月17日(土)~20日(火)まで、
詳細は、
こちらをお読みください。
高木さんの熱心な研究と実践経験の積み重ねと、より繊細な意識センサーによって、
脳幹セラピーが今まで以上にパワフルな施術へと進化しています。
心と身体の「中心」である脳幹をセラピーする。
初めての方も、久しぶりの方も
ぜひ、この機会に受けてみて下さいね!
それから、前回のグループセッションの提案について、たくさんの方からご要望や「参加したい」というメールをいただきました!
ありがとうございます。
さっそくですが、
今月20日(火)の10:00~13:00にクオレヴォーチェのサロンで開催します。
その後も随時、いろんな時間枠で場所もいろいろ検討しながらやってみたいと思います。
出入り自由で、予約も特にいりません。
ぜひリラックスしてご参加くださいね。
「採点のジレンマ」にも書きましたが、もう成績つけるのが嫌だ、という気持ちと、学校で義務付けられているからつけなければならない、をどう折り合い付けようかを最近ずっと悩んでいました。
それで今日は授業の時、生徒にこういう話をしました。
「私は昔は成績を付けるということに何の疑問も抱かなかったけれど、最近教師が自分の基準で評価を付けるのはおかしいと思うようになった。それでも学校では成績つけることを求められるから、どうにか評価を出さなくちゃいけない。
それで最近わかったのは、点数というのは、生徒につけられたものではなく、先生が自分に対してつけるものだ、ということ。これは音楽だけではなく、どの教科にも言えること。どれだけわかりやすい、興味深い授業をしているかを先生自身が自分で評価しているだけだから、あなたたちは点数で自分の価値を決めなくてもいいんだよ。この授業も成績を出すけれど、これは私自身の評価であって、あなたたちの評価ではないからね」
そう話し出すと、生徒はまるで久しぶりに新鮮な空気を吸ったような顔になるんですね。
普段は全然人の話を聞こうとしない生徒も、この時ばかりは、真剣に耳を傾けているんです。
そして、しばらくの静寂の後(何か考えている様子)、
「そうだよね!僕も内心そう思ってたけど、そのとおりやんな!」
「そうそう、成績を気にしていると、学ぶ意欲も失せるねん」
「じゃあ、今度のテスト(歌唱実技)も、自分の評価と思わなくていいってこと?
音楽は、音を楽しむって書くんやから、楽しく歌わなくちゃ!」
など、口ぐちにイイこというんです。
そして今日の授業で、みんながどれほど楽しく、開放的に、そして集中力をもって授業に臨んでいたかは、
言うまでもありません。
こんなにラポールを築けたことは、いまだかつてなかったかも・・・?
成績という呪縛からちょっと解放されたとたん、こんなことになるのかと私自身もびっくりでした。
話をして、私自身もどれだけ気が楽になったことか。。。
思えば、彼らはみんな、去年より上達したとか、達成目標までまだまだだ、とか、自分たちでちゃんと評価しているんです。
批判やアドバイスが欲しいときは、それを求めてきます。
それ以上は、こちらの押し付けに他ならないんだ、ということを、私自身もやっと学びました。
さて、こちらは最近私がものすごくインスパイアされた教育関連の本。


アメリカに実在する、サドベリー・バレースクールのセンセーショナルなレポートです。
この学校はいまから二千年以上前、古代ギリシャの哲学者、アリストテレスがその著『形而上学』の書き出しで述べたある前提、つまり「人間とは生まれつき好奇心を持つものである」を土台として出発しています。この言葉は、人間とはその生の固有の一部として、常に学んでいく存在である、との意味合いを含んでいます。
それはまた、自分に備わったナチュラルな傾向に従い、自分のしたいことを毎日欠かさず続けることで、子どもたちは学んでいく―ということでもあります。
この学校に入るやいなや、年齢に関係なく、子どもたちは自分自身の主人公となるのです。自分自身に責任を持たされるのです。誰のものでもない自分の人生のコースを左右する決断を自分で下していくのです。
『「超」学校ーこれが21世紀の教育だ』序文より
サドベリースクールの教育理念はいたってシンプル。
その中でも、「評価しない」ということは徹底しているそうです。
まあ、アメリカ生まれのシステムが日本の文化・土壌にどれぐらい適合するかというのが疑問(日本のサドベリースクールも発展途上みたいだし)ではありますが、教育を見直す上で参考になることは大いに、大いにあると思います。
勧めて読んでくれた人が、「子育てにも役に立つ情報満載だった!」と言っていました。
ぜひ多くの方に読んでいただいて、本来は誰も喜んでいるはずのない「成績」や「評価」というものから、
そしてそこから生まれる「他者との競争」や「承認欲求」から、日本の子どもたちを一緒に救い出していきたいです!
サドベリースクール(2012年9月4日の記事)
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私は高校で音楽の非常勤講師もしています(現在は歌唱の集団授業を担当)。
学校では学期末と学年末になると成績を出さなくてはいけません。
毎回成績をつける度にその基準をどうするか、悩んでしまいます。。。
今までずっと歌唱や楽器演奏の実技テストというものを毎学期ごとに実施してきて、そこで採点するということをやってきたことはやってきたのですが・・・実技の能力なんて採点できるものではありません!
もともと音楽的な素のある子、ない子がいるし、小さいころからの環境の違いもあるし、スタートラインがそもそも違うので、どれぐらい上手に歌えるかなんてどうやって公平にジャッジしたらいいの!!って話です。
ピッチは正確か、リズムは正確か、言葉は正確か・・・って、カラオケの点数マシーンじゃあるまいしねえ。
では、授業態度と努力を評価したらどうか?
長いこと、これがベストだと信じて成績をつけてきたんです。
どれぐらい授業に集中できているか、どれぐらい努力して向上したか、などを評価の基準にします。
でもある時から(気づきのワークをするようになってから)、疑問に思い始めるわけです。
これって、私が何を提供しているかを自分で評価しているだけじゃない?
人は、心が動くもの、ワクワクするもの、楽しいと思えるもの、もっと知りたい!向上したい!と思えるものには、勝手に自然に集中して、努力するもの。
もし、生徒が集中していなくて、ヤル気がなかったとしたら、授業の方がその生徒の心に訴えるものを持っていないだけなのです。
先生側がそれを見せてもらって、そこから授業の内容向上に努める指針にすればよいのです。
それに、私が楽しいと思うこと、提供したいことと、生徒全員が楽しいと思うこと、与えてもらいたいことが必ずしも一致しているわけではないはず。
心が動かない、ということは、それがその子のミッションには役に立たない、ということを魂レベルでちゃんとわかってるんですよねー。
それに、私は「集中するべき」「努力するべき」「向上するべき」ということを本当に教えたいのでしょうか???
いえいえ、この価値観から自由になりたくて、そのために努力をしているぐらいなのに(笑)。
教えたいはずがありません。。。
「切磋琢磨で全員向上」にはもううんざりです・・・。
ではでは、「忘れ物をしない」「授業中寝ない」「授業に関係ないことをしない」「50分席に座り続ける」「遅刻しない」などの基本ルールを作って、どれぐらい守っているかで採点するというところで手を打ちましょうか。
・・・はあ。
いまだに忘れ物の女王であるこの私に、学生の時授業中しょっちゅう居眠りをしていたこの私に、こっそり漫画読んだり、隣の子とコソコソ私語をして楽しんでいたこの私に、先生という立場を借りてそんな評価を人に下すことが許されるのでしょうか・・・。
人は言います。
「学校の基本的なルールぐらい守れないと、社会(つまり管理社会)に適応できない」
それは本当でしょうか??
確かに、学校の基本的なルールを守るという訓練は、勤勉で従順な会社員になるのにはとっても役立つけど。。。みんながみんな勤勉で従順な会社員になりたいわけでも、向いているわけでもないしねー。
ルールや賞罰(恐れ)で抑えつけながら行動するように誘導していったら、抑圧の多い人を育てることになります。
抑圧は、病気、ウツ、ストレス、怒り、暴力、偽善などを生み、感受性や創造性を奪います。
(セラピーで行っていることの一つは、この〝抑圧の解放”なんです!)
・・・って考えていたら、もう成績なんてつけられまへん!
今まで、自分を騙し騙し続けてきましたが、
あまりにもパラダイムシフトが急速に起こりすぎて、自分がこの管理社会の中で機能していくことが難しいということがわかってしまいました。
私が感じるのは、最近は生徒の方が、もう賞罰のために行動することに対して白けモードです。
成績を付ける、というまあ当たり前に行われていることが本当に子どもにとって、これからの社会にとって必要なことか、見直す時期なんじゃないかなー。
採点は少なくとも、先生が生徒の理解度を把握して、自分の授業の改善のために利用するものであって、子どもの精神的プレッシャーを強めたり劣等感を植え付けたり、子どもに「あなたはこれぐらいの能力」とレッテルを貼ったり、利己的な大人に育てるためのものであってはならないと思います。
わたしたちの大半は、集中するとはいかなることなのかを学びます。つまり、子どもの頃から何かに集中することを強いられているのですが、一般的に、 わたしたちはそうすることが好きだとは思っていません。そのため、嫌いなことを無理強いさせられることに対してある種の反発を覚えるようになります。
あなたは何のために教育を受けるのでしょう? あなたは一人の人間として、どんな存在になろうとしているのでしょうか? 今日においては、もっと も高度な政治組織から洗練を極めた宗教制度に至るまで、いずれも凡庸さに支配されています。あなたが教育を受けるのは、こうしたパターンに適合するためで しょうか? 情熱をまったくもたない、自分自身や周囲の世界との葛藤を抱えるような凡庸な人間になろうとしているのでしょうか。
(クリシュナムルティ、「アートとしての教育」 41注意深さ より)
わ~、そんなことをツラツラ思いながら書いていて、ふと他所のブログを見たら、めっちゃシンクロ!!!
「まっかなトマト」の鈴木さんのブログ『平均点』~原点回帰~
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先月、
『反抗的な子供が教えてくれること』という記事の中で、「自分が裁きの心とコントロールの欲求を手放したら、自分の目の前から反抗的な生徒がいなくなった」と書きましたが・・・
ちょっと誇張しすぎたというか、、、ウソばっかりでした(笑)。
昨日の授業のとき、一人の女の子が授業開始早々から顔をうつ伏せにして寝る体制に入り、もう一人の女の子はチャイムが鳴ったというのにムスッとした顔で携帯電話とにらめっこをしているではありませんか。
それぞれに、「どうしたの?授業始まるよ。しんどいの?」と声をかけてみると、うつ伏せの子は「もう学校やめるねん!構わんといて!!!」と声を荒げ抵抗し、もう一人の携帯にらっめっこの子も、「今大事な考え事中やから、ほっといて!!!」と声を荒げ、肩に置いた私の手を振り払いました。
自分の世界に完全に没入してしまい、彼女たちには、コミュニケーションを取ろうという意思がまったくないようです・・・。
とりあえず、「北風と太陽」の話ではないけど、抵抗する人に一生懸命こちらが働きかけても、相手は余計に抵抗を強めることはよくわかっているので、ここはひとまず彼女たちをそっとしておいて授業を進めました。
でも、授業に集中するのはなかなか難しかったですねえ。。。
「なんとか機嫌直して授業に参加してくれないかなあ」というコントロール欲も出てきましたし、音楽教室の後ろのドアの一部がガラスになっていて中の様子が覗けるのですが、後ろから担任の先生が様子を覗いているのを発見したとき、「見られたくないものを見られてしまった」という不快な気持ちも出てきました。。
昨日はそんなこんなで、この事態は一体何を私に見せてくれているのか、彼女たちは私に何を教えようとしてくれているのか、、、そんなことを掘り下げてずっと考えていました。
担任の先生が覗いたときになぜ不快な気持ちになったか、それは、私の中に、
「みんなが機嫌よく授業に参加している=いい授業をしている有能な教師」
という価値判断があるからなんですねえ。
自分のこの価値判断を、人も持っているに違いないと一瞬思ってしまったようで、
授業に機嫌よく参加していない生徒がいる=私の授業がよくない、私は教師としていまいちだ」
とその先生に思われてしまったのではないか、、、と恐れが出てきたのですね。
そんな思い込みがまだあったのかと、あとで気づいて笑っちゃいましたが。
今日はそのうちの一人Nさんと個人レッスンの授業があったので、「昨日は学校やめたいと言ってたけど・・・なんかあったの?」と話かけてみました。
「学校嫌いやねん」とNさん。
私はとっさに「私も嫌いやったからわかるわ」と言ってしまいました。
実際は特別好きではないけど嫌いでもなかったのでちょっと嘘をつきましたが・・・それが功を奏してか、昨日とはうって変わって彼女の態度が緩み、たくさん心の声を聞かせてくれました。
学校がつまらないから本気でやめたいと、1年生の時からずっと思っている。
でも、親が「大学にいってちゃんと就職してほしい」といって許してくれず、わかってくれない。
「学校は、学校好きな子がいけばよくて、好きじゃなければ行かなくてもいいのではないか」
「確かに学校をやめても、違う道でより自分らしい人生を切り開いていくことはできる」
「衝動ではなく、ちゃんと自分が選んだことに責任を持つと決めれば、両親も安心して見守ってくれるようになると思う」
「両親は『学校を出た方が幸せになれる』と信じていて、あなたに本当に幸せになってもらいたいと願っている。ただ、その信じていること以外の考え方を知らないだけ」
ということを私の意見として伝えたのですが・・・、「いい大人して、知らなすぎやねん!」と、両親を責めるモードになる彼女。
誰も悪くないのだから、だれかを責めても決して楽にはなれないんだけどね。
「親も未熟なんだよ。子育てをしながら、たくさんの初めてのことを経験して、悩んで苦しんで、いろんなことを学んで、人間として成長していくんだよ」というと、「いい年して、成長するの遅すぎるねん!!!」と、なかなか辛辣な彼女(笑)。
「人間は50になっても、60になっても、80になっても知らないことだらけで、一生学び続けるものなんだよ~」
・・・といってみたものの、今目の前にある「学校やめたいけど、親が許してくれない」という悩みとはなかなか結びつかない様子。
今日の会話で、Nさんが少しでも楽になったのか、あるいは、余計に葛藤が増えてしまったのかよくわかりませんが、まあ、この宇宙ではすべて起こっていることは必然のようなので。。。
彼女もご両親も、この葛藤を通じていろんな気づきを得て人間としての成長ゲームを続けていくのでしょうね。
私個人としては、昨日今日で教育に関する使命感がものすごく刺激されたようで、今まで漠然とビジョンに描いていた3つのこと、「ティーンズ向けの自己愛の増やし方、潜在意識の活用法の本を書く」ということ、「学校の先生のための心理学講座を作る」こと、「新しい教育システムの開発に貢献する」ということへのパッションがめちゃくちゃ強くなりました。
そうか、この使命感を刺激して高めるためにいろいろ見せられたことだったのですね~!!
新しい時代の学校教育作りに興味のある学校の先生!ぜひ一緒に作りましょう~。
最後に、阿部敏郎さんのブログの記事をご紹介します!
なんか、とても今日の内容にシンクロした記事で、阿部パパ最高~、と思いました。
息子へ【5月東京個 人セッションの日程】 日時:5月21日(火)
午後早め、
16:00~ 、19:00~
5月22日(水)
午前、
午後早め、16:00~18:00
5月23日(木
)午前、
13:00~、
午後遅め 5月24日(金)午前、
午後早め ※時間はご相談の上、決めさせていただきます。
場所:世田谷
料金:個人セッション:60分 8000円(初回の方のみ90分)
ボイストレーニング、声楽レッスン:60分 8000円
●オプション:
音叉チューナーによるDNAリペアチューニング、エンジェルチューニング、陰陽バランスのチューニング 約20分 3000円
ご予約&お問い合わせはこちらまで
★ もしくは、こちらのメールアドレス↓
t_shishikura711@yahoo.co.jp
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